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福島民報 2015年2月17日

第2部営業損害(15) 園児半減経営を圧迫 「地域が破壊された」 | 東日本大震災 | 福島民報

東京電力福島第一原発事故に伴う避難区域外の事業者も厳しい経営を余儀なくされている。放射性物質の拡散により地域の環境が崩壊・変質したためだ。

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 先生また明日ね-。南相馬市原町区の青葉幼稚園に園児の元気な声が響く。幼稚園を経営する学校法人青葉理事長の安川正さん(67)は帰りのバスに乗る子どもたちを笑顔で見送った。

 園舎内を巡回すると、使われていない保育室が目に入る。園児の作品や持ち物がなく殺風景だ。寂しさが込み上げる。12室ある保育室は、原発事故の発生前まで全て使用していた。今は園児数が減少し5室空いている。「原発事故のせいだ。国と東電に元の状態に戻してほしいよ」

 平成23年12月分までの営業損害賠償の仮払いを東電から受けた。その後の分は交渉が続く。原発事故以降、幼稚園経営は厳しいままだ。

 青葉幼稚園は昭和27年、安川さんの祖母が開園し、地域の幼児教育を担ってきた。伸び伸びと遊び、学べる教育環境が住民から評価され、園児数は増加した。第2次ベビーブームの世代が通園した昭和50年ごろは400人近くが園生活を送った。少子化で園児は徐々に減ってきた。それでも原発事故前の園児数は200人ほどで推移した。

 安川さんは平成17年に理事長に就いた。子どもが安心して過ごせる環境づくりと堅実な経営を心掛けてきた。23年春の園児数は236人を予定していた。

 23年3月11日、帰宅する園児をバスで送っていた安川さんは強烈な揺れに襲われた。驚きながら園児を保護者に届け、幼稚園に戻った。けが人はなく、園舎も無事だった。「よかった。18日の卒園式も無事にできそうだ」

 ところが、福島第一原発の事故が発生し、放射性物質が拡散した。幼稚園がある原発から30キロ圏内に、政府は屋内退避を指示した。幼稚園は運営できなくなった。安川さんは長野市の次女宅に避難したが、3月下旬には自宅に戻った。誰もいない園舎。卒園式の準備は放り出されたままだ。悔しさが込み上げる。涙が頰を伝った。

 幼稚園は緊急時避難準備区域に含まれた。周辺の多くの住民が避難した。「園児が戻ってくる場所が必要だ」。区域の解除を視野に、教職員と再開の準備に入った。事故から数カ月が過ぎ、夏を迎えていた。園児の保護者に往復はがきを出し、通園の希望を聞いた。だが、希望者は少なかった。「残念ですが、今は保留したい」。放射線の影響を心配する父母の気持ちも痛いほど分かった。保護者がはがきに書き添えた文章に胸が苦しくなった。

 23年9月末の緊急時避難準備区域解除に伴い、幼稚園は10月11日に再開した。再開時点の園児はわずか22人だった。その後、少しずつ戻ってきたが、現在は125人。原発事故前の半分程度だ。「幼稚園は地域に育てられてきた。その地域が原発事故に破壊されたんだ」

カテゴリー:賠償の底流-東京電力福島第一原発事故

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