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原発が亡びても地方は生き残る 朝日新聞2015年7月1日15時04分

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【1970年5月】チッソ本社前で抗議する水俣病患者と家族の代表者たち=東京都千代田区


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■村上達也(「脱原発をめざす首長会議」世話人/元東海村長)

■「がんばろう!」でよかったのか?

 まだ記憶に新しいが、東日本大震災福島第一原発事故の後、この国は「がんばろう日本」「がんばろう東北」「がんばろう福島」などなど、「がんばろう」一色であった。そのために事態の冷静な解明、認識が阻害されることはなかっただろうか。「個人」は「全体」に包摂され、我慢と忍従を強いられてきた面があるのではなかろうか。福島第一原発事故被災地域で言えば、「ふるさと帰還」の声の前に沈黙を強いられた人も多かっただろう。

 このような国民的マインドは、かつてこの国にもあった――デジャヴュウ(既視観)だ。「聖戦」「大東亜共栄圏」、そして「一億総玉砕」などなど。特に「聖戦」というスローガンには黙せざるを得なかったのではないか。

 確かに東日本大震災による被害は人知の予想を超えるものがあった。しかし4枚のプレートの交差によってでき上がっているこの国では地震津波による災害はそれこそデジャヴュウであって、なにも貞観地震を引き合いにして「1000年に1度」などと言い逃れできるものではなかった。災害が異常に大きくなったことに人為的原因がなかったはずはない。

 特に原発事故においてをや。それは人類史上でチェルノブイリ原発事故に次ぐ放射能汚染による大規模な自然環境破壊、ありとあらゆる生命への危害であった。経済発展のため、エネルギー確保のためと、言い繕って問題をそらしてはならない。日本人全体への警告、問い掛けだ。それを日本人ははっきり認識すべきだ。

 なかんずく、原発事故によってそれぞれの未来に関わる生存基盤であるふるさとを失ってしまった人たちに対し、「がんばろう」、「復興」の掛け声をかけるのみでよかったのか。これでは70年前の敗戦と同じでないか。塗炭の苦しみをなめた無謀な戦争について、特に中国とアジア諸国を侵略し、わが国を上回る多くの命を奪った戦争をしでかした罪への反省もなく総括もしないで「一億総懺悔(ざんげ)だ」、「さあ戦後復興だ」、「経済成長だ」の掛け声で、いつしかそれは「がんばろう」という単純な言葉に変わってしまった。それこそがいまだに中国、韓国などとうまくいかない原因であり、ヨーロッパにおけるドイツとアジアにおける日本の分かれ道であった。

■推進VS.反対は二項対立なのか? 弁証法の話ではないか

 話の都合上あえて言うが、ポリタス編集部からの寄稿依頼文の中で、気になる文章があった。以下引用する。

 東京電力福島第一原発事故から4年が経過しようとしていますが、いまだに原発については推進と反対の二項対立が続いています。この二項対立を乗り越えるには、目下の再稼働の可否を論じるのではなく、もう少し長期的な視点に立ったビジョンの提示が必要と考えます。

     ◇

 福島第一原発事故の後、脱原発反原発の主張に対し、原子力推進側からは「二項対立の感情論だ」という批判を大分耳にした。特に御用学者などは中立性、客観性を装って言っていた。「がんばろう」の唱和と同じく、特殊日本的「和」に訴えて事故後の状況下での原発論議を封じようとしたのだろう。

 土台、「反原発」か「原発推進」かの対立は二項対立といえる筋のものだろうか。特に、福島第一原発事故の後、その対立は弁証法の話に変わったのではないか。原子力エネルギー開発それ自体に内在していた矛盾が事故、災害で白日の下に晒(さら)された、その自己矛盾を止揚するのかどうかがことの本質だろう。

 原発についての推進か反対かの議論は福島第一原発事故以前は立地地域を除いてなされたことがほとんどなかった。しかし、いつの間にか国民が知らないところで国策とされてきた。唯一政府が組織的に取り組んだのが、民主党政権下で事故後の国民意識調査と討論型世論調査であった。そこでは時期はともかく、「原発ゼロヘの道」へという国民の意思は示された。それを受けて時の政権が確定したのが、2030年代に原発ゼロの道であった。

 ドイツメルケル政権とは比較にならないが、弁証法的思考能力を欠く日本社会といえども、ここまでは曲がりなりにも弁証法的な結論を出した。この結論を引っくり返し、原発政策を福島第一原発事故以前に先祖返りさせたのが自民党安倍政権と電力・原子力業界である。現在の安倍政権はひたすら原発再稼働と原発の輸出に突き進んでいる、はたまた原発新増設の本心も見え見えである。全く国民の意思には歯牙(しが)にもかけない国権主義的姿勢である。

 こういう日本社会にあって二項対立と言って議論を制限し、封じてはならない。原発に関する議論は私たちの現在の生活の在り様、子供たちの将来に関わる問題なのだから黙することなく大いに語っていく責任が私たちにはある。元々論理的思考など苦手な日本人だ、二項対立と非難されようが問題ではない。

原発権力の復活と焼け太り

 昨年4月政府は新たなエネルギー基本計画を策定し原子力を「重要なベースロード電源」と位置づけ、政府が先頭に立って原発再稼働の音頭をとっている。これは周辺住民をはじめとする国民世論を無視した強権的手法と言わざるを得ない。

 政府の意向を忖度(そんたく)して原子力規制委員会は昨夏の川内原発に次いで今春早々福井県高浜原発3、4号機に審査合格証を出した。哲学者・故久野収さんは日本人の特質として「頂点同調主義」と言っていたが、政権交代によって原子力規制庁は早くも独立機関としての性格が危うくなってきている。作家の辺見庸さんも言っていた――日本は「全民的協調主義」「あらかじめのファシズム」の国だと。こういう国でアメリカのNRC(原子力規制委員会)のような機関を望むのはしょせん夢物語か。

 せめてもの救いは田中規制委員長の孤軍奮闘だ。科学者の良心から「原発は安全だとは言わない。審査は安全を証明するものでない」と言っていることである。そこは、政府や電力会社が審査合格をもって安全宣言しているのとは大きな違いである。無責任と批判されているが、本来規制委員長であっても原発は安全と断言できるものでないと真摯(しんし)に語っている。原発をとるか、同時にそのリスクをとるかを国民一人ひとりが自分で考えろと言っているのである。私たち国民が決めねばならないことである。

 政府や電力業界は出力が小さいものに限ってだが、40年を超えた原発数機の廃炉の意向を示している。しかしこれもお茶濁しでしかない。その一方で「リプレース」と称し、大型原発の建設を画策しているのだからとんでもない話だ。焼け太りをもくろんでいるのだ。

 福島第一原発事故被災者、避難者の救済はおろか、事故の収束もおぼつかない中で、原発新設の計画を練っているとは、何というおぞましい国だろう。泉田新潟県知事が言うように、福島第一原発事故の真の検証も総括もできてないと私も思う。その中で政府も電力業界もフクシマ以前への全面回帰を画策している。国民はだまされてはならない。

■変われない日本(いつか来た道)

 この風景もまたデジャヴュウだ。敗戦によってこの国は変わったと思ったが、基層においては何も変わってはいなかった。私たち日本人は戦前、特に敗戦までの昭和期は克服すべきものであったはずだ。しかし、原子力政策を見ているとこの国のエリートの精神は、いや頭の構造は何も変わってはいなかった。獲物をひとつ手にすると、更に獲物を獲ようとする――しかも謀略的手法によって。だから破局まで突き進む。旧陸軍参謀本部高級将校の行跡をひもとけばそれがわかるだろう。それは国家を牛耳っているのは俺たちだという傲慢(ごうまん)な自惚れから出ていた。

 太平洋戦争に突き進んで行った原因は、明治維新直後からの日本に胚胎(はいたい)していたことだが、特に昭和軍部の頭の中心を占めていたのは、陸軍の傀儡(かいらい)国家、満州国の保持であった。その補強のため中国北部(北支)に進出し、次いで中国全土に戦争を拡大したが中国人民の頑強な抵抗にあって泥沼に脚をとられ、その打開のために日独伊三国同盟を締結し、ナチスドイツの勢いに乗じアジアの盟主とならんとし(大東亜共栄圏)、結局は目算もなく米英との太平洋戦争に突き進んでいった。煎じつめて言えば金のなる木、満州を謀略によって手に入れ、その権益にしがみつき(「満蒙生命線論」)、結局は見通しのないまま戦略なき無謀な戦争に国民を総動員して行った。揚げ句には、気違い沙汰にも本土決戦だ、一億総玉砕だと高唱し、本気で全国民を道連れにしようとさえした。このようにこの国は方向転換できない、一部の者の権益を保守するため破滅まで行ってしまう国なのだ。

 私は、「この国はエリートが滅ぼす国家だ」と、福島第一原発事故の後早くから言ってきているが、政府、財界、学会の原子カムラのエリートをみていると、この思いは残念ながら間違っていない。そこへ国益、国威に最大の価値を置く国権主義、国家主義政権ができた。ただでさえ方向転換のできない国なのに、原子力政策、エネルギー政策原発事故を受けて転換どころか、従来の路線を強化、推進しようとしている。それは既に首相の積極的な原発輸出外交に表れているが、川内原発高浜原発の再稼働の動き、そして後述する上関原発建設の動きに表面化している。

 しかし、国民もしっかりしなければならない。加藤周一は「私にとっての20世紀」(岩波現代文庫)の中で、日本人は「現在主義」だ、それは「大勢順応主義」につながっていると言っている。過去に拘泥せず未来を煩わずひたすら今だけの利益に関心がいく、という意味だ。それにしても福島第一原発事故はわずか4年前のこと、忘れるには早過ぎる。

祝島の閧いは終わらない一政府、中国電力の非道

 民主党政権下で原発の新増設はしないと決めたとき、最初に浮かんだのは、「これで山口県祝島の人たちは救われる。長い闘いに終止符が打たれる」ということだった。

 ところがどうだ、地元山口県安倍政権の登場を機に中国電力は巨大な原発建設計画(137.3万kw 2基)の再スタートをはっきりもくろんでいる。

 祝島の島民は島を挙げて32年余も(!)原発建設に強固に反対し続けている。当時50代だった人でも80代となっている。これだけ長期間反対があるにもかかわらず原発建設計画を取りやめようとしない中国電力は非情な会社だ。その人倫に悖(もと)る所業は言語を絶する。

 今年の1月下旬、山口県祝島上関町を訪問した。訪問して、これだけ頑張れるのはしかるべき理由があることがつぶさに感じ取れた。祝島は周囲12kmのハート形をした小さな島で、島全体が山岳で農業に適した平地はほとんどない。しかし瀬戸内の要衝に位置し、目の前の豊かな漁場に恵まれ漁業を営み、また往昔は酒造りの杜氏(とうじ)を多く輩出し、本土に出稼ぎに出ていたとのこと。一方、島内では急斜面をものともせず柑橘類、ビワの栽培をひらいてきた。

 瀬戸内の島々はどこも同じだが、歴史に培われたその島特有の高い文化を持っている。祝島は家々をつなぐ練り塀の町としての特有の文化を今に残している。ユネスコ世界遺産に指定されてもいい文化遺産である。島での生活はゆったりとして桃源郷のようであった。小泉八雲が明治の日本を評して「見るもやさしそうな人々が、幸福を祈るがごとく、そろってほほ笑みかけくる世界―あらゆる動きがゆったりと穏やかで、声をひそめて語る世界―昔見た妖精の国」と言っているが(「神々の国の首都」)、この言葉は、そっくり祝島そのものである。

 祝島の人々は港のある狭い地域に一塊となって長い歴史を紡いできている。島民全部が一つの家族である。この一体性が崩れては人々は生きて行けない、祝島祝島でなくなる――そういう世界である。そこにカネと力でもって原発建設という暴風が襲来した。生計、歴史、文化を共有することで命脈を保ってきた島の人たちは、それこそ一致団結して反対してきている、これが祝島の人たちの闘いである。

 この人たちに中国電力は金でもって分断する策に出てきた。漁業補償金である。これはどこでも原発建設を進める時の常套(じょうとう)手段だが、最初に漁業補償金で反対派を切り崩す。元の単協祝島漁協は受け取りを拒否していたが、その後山口県下の漁協が一本化され、その県漁協が補償金を受領してしまい、旧祝島漁協分は分配を保留したまま今に至っている。この補償金の取り扱いを巡って、ここにきて島内で少し悶着(もんちゃく)が起こっているようだ。

 祝島祝島であるそのゆえんは島民にある。しかも一体化した島民共同体にありと思うのだが、その島民を金でもって分断する中国電力の所業には激しい憤りを覚える。「お前らは祝島を消すのか」と問いたい。金による人心篭絡(ろうらく)は悪魔の所業である。

 その上、中国電力は反対運動弾圧のため、反対運動の島民代表者や支援者にささいなことを理由に大額の損害賠償訴訟まで起こしている。強大な組織権力を持つものが無力な個人に対してのかかるいやがらせ行為は社会正義に反している。これは中国電力が道徳的にも堕落した証左であり、長い目で見れば会社の損失ではないだろうか。

 ところで人口3300人の上関町原発誘致に熱心なようだが、巨大な原発2基から入ってくる莫大(ばくだい)な金(上関町には1984年度以降原発関連交付金として約70億円が支払われている)を、何に使おうとしているのだろうか。財政需要額の小さな町に多額の金が入ってきて町政が、いや町全体が狂うことはないだろうか。老婆心ながら心配になる。

 また山口県知事は地元出身の安倍政権にこびているのか、煮え切らない態度を崩さない。このまま生殺し状態を続け、祝島の人たちの自滅を狙っているのか。芦浜原発建設計画を白紙撤回した当時の北川正恭三重県知事の英断に倣ってはどうか。北川知事はJCO臨界事故の直後、2000年の年頭に、その決断をした。

■「国の責任」とは?

 鹿児島の川内原発では鹿児島県知事薩摩川内市長も「国の責任で」という言葉を多用し、経産大臣もまた「国が責任を持つ」と言って、再稼働に突き進んでいる。この「国の責任」という言葉はわかったようで、空を摑(つか)むような実体のない言葉である。現に福島第一原発事故で国は責任を取ったと言えるだろうか。東電も国も誰一人として責任は負っていない。

 元水俣市長の吉井正澄さんは水俣病公害事件問題で、こう語っている「水俣病を発生させたチッソに全ての責任があるのは当然だが、根本原因を追究していくとすべて国の責任に突き当たる」と。そして1959年の本州製紙江戸川工場の汚染水排水事故と、同じ年に2千人の水俣市民が起こしたチッソの工場廃水停止要求デモヘの国の対応の違いを述べている。前者は魚が死んで浮いただけだがすぐに操業を停止させた。後者は病人と死人がでていたが操業を続けさせた。この違いは、当時の通産省軽工業局長の裁判での証言に現れている。「日本の経済発展にとって、製紙会社チッソ水俣工場は貢献度が違う。比較権限の問題だ」と。また「東京周辺で騒ぎが大きくなれば収拾が出来なくなるから操業を停止させた」とも陳述している。

 これが「国の責任」の取り方というものだ。原発立地地方の人たちは、責任を国に丸投げせず、また目先の金に惑わずに、周辺自治体の人たち、将来世代のことも考え毅然(きぜん)たる判断をするべきだ。再稼働を承認する前に、故郷を追い出され4年経った今でも将来の見通しもない避難生活を強いられている福島第一原発事故被災者の話を聞き、そして水俣病の公式確認から60年経ってもいまだに水俣市全体が苦しみもがいている水俣公害事件からも学び、その上で子孫のために賢明な判断をされた方がよいだろう。

東海村JCO臨界事故――脱原発への伏線

 私は2011年の東日本大震災時ばかりでなく1999年にも、我がふるさと東海村が吹き飛ぶ恐怖を村長という立場で味わっていた。東海村JCO臨界事故である。この時に、この国は原発を持つ能力、資格があるのか疑念を抱くことになった。私が東海村再興への最初にとった行動は、公害で痛めつけられ、「環境と健康のまちづくり」を掲げて再起を目指していた水俣市訪問であった。そこで出会ったのが吉井水俣市長で、以来患者さんを含め多くの水俣市民と接する中で、効率や利便追求ではなく環境と人間に視点をおいた地域づくりを学んできた(水俣市の当時の総合計画の標語に「不便を受け入れるまちづくり」というものがあった)。

 福島原発の事故直後の6月ごろから私は脱原発を表明し始めたが、そのきっかけは当時の経産大臣による定検終了後の玄海原発の安全宣言であった。原発事故から3カ月後で福島の現地ではまだ大混乱状態にあり、事故の実態が何も明らかになっていない時点でのことで呆気(あっけ)に取られた。そこでこの国は原発など持つべきではない、持つ能力もないと確信したのであった。

 だが、伏線はJCO臨界事故にあった。事故の究明は、原子力界挙げて全ての責任を原子力産業界の周辺企業JCOに負わせて、検証は早々に打ち切りふたをしてしまった。その後の2007年の中越沖地震でも「止める、冷やす、閉じ込める機能が働いた、日本の原発技術は高い」とばかり高唱し、地震による原発への打撃についてはふたをし、その後原発増強に突き進み、事故の教訓がなにひとつ酌まれることはなかった。2004年のスマトラ沖の海溝型地震からも日本海溝南海トラフを目の前に控えていながら教訓を得ようともしなかった。福島第一原発事故後も根本は変わってはいない。この国は危ない国である。

■社会的価値、文化的価値が最後を制す

 しょせんは原発による恩恵は「一炊の夢」、30年か40年の話である。原発立地自治体の産業は商店を含めて全ての商行為が原発に依存するモノクロ経済社会に化し、自力発展の芽が消えていく。原発が消えれば、周りの自治体と比べても見劣りすることになる。ましてや重大な事故を起こし、核廃棄物処分の見通しもない原発の将来は見えている。早いか遅いかあっても、いずれは原発依存から脱却の道を探らざるを得ないのが立地自治体の宿命である。原発は地域にとって疫病神だと思って間違いない。

 私は原子力発祥の地・東海村の村長であったからという訳ではないが、原子力科学研究それ自体を拒否しているわけではない。今日では原子力科学利用の経済規模は原発などのエネルギー分野と医療や新素材開発などの分野の比率は5:5だそうだ、特に高出力の加速器を利用した先端・基礎科学研究分野での成長は目覚ましい。まさしく21世紀の科学だ。ジュネーブにあるEUの円周30kmの巨大な加速器セルン、東海村J―PARC(大強度陽子加速器)などがその施設である。欧米の原子力分野の主力はすでにエネルギー開発からこの分野へ移り、日本よりずっと先を進んでいる。

 JCO臨界事故の直後から、私はそれまでの原子力施設からの金に依存することから地域自らの力によって持続可能な社会を作ろうと村民に呼び掛けてきた。それを称して「一次方程式的発展の時代は終わった、これからは連立方程式を解ける能力をつけよう」と村民に訴え、2005年J―PARCを核とした「高度科学研究文化都市構想」を立て村の指針とした。更にそれを発展させて2012年に「TOKAIサイエンスタウン構想」として現在に至っている。

 構想の主眼は、世界中の科学者、研究者から国際的な研究都市として認知される、そのような社会環境、住環境を整えることである。これは施設からもたらされる固定資産税や電源交付金などの経済的価値を求めるのではなくて、施設や研究機関の持つ社会的価値、文化的価値を重視し、その価値を生かせる地域社会を自らの力でつくろうということである。逆説めいているが、幸いにもJ―PARCは国の研究施設であることから経済的、財政的恩恵はゼロに近い施設である。だが世界の3本指に入る先端基礎科学研究施設であって、社会的、文化的価値は極めて高い。この価値をものにできるかどうか、村民や地域の力量が試される施設である。

過疎化で地方は消滅しない

 ここまで書いてきて、「東海村はいいよ、いろんな施設があって、俺んとこは原発しかないのだ、まちのためには原発が必要なんだ」という大きな声が聞こえてくる。でも福島第一原発事故によって世界は変わった。それ以前とは違うというほかない。「今停止している原発は全部以前どおり動きますか? 動いたとしても遠くない近未来には確実に消えていく代物です。それに今後、恩恵はなく危険だけを共有させられる周辺自治体の住民が立地自治体の意向だけに任せるでしょうか。労せずして金の入る原発依存のシナリオは先が見えているから早くお捨てなさい」と言いたい。

 また、過疎化の進行を止めているのは原発が立地しているからだ、という声もあるだろう。だが原発過疎化を阻止するのにも限界がある。地方の過疎化人口減少時代にあるこの国では、どこの地域でも急速に進行している。これは大都市を核に経済効率だけを追求した一極集中政策の結果であって、地方である限りどこでも避けられない。過疎化は自然の流れであると割り切るほかはない。考えを変え、逆転の発想に立てば過疎地こそ21世紀資本主義国日本の先頭を走っているだけとも言える。

 祝島に行ってわかったことだが、瀬戸内の島々の過疎化は想像を絶する。例えば、祝島はかつて3千人以上の人口だったが現在は500人を切り、高齢化率70%、平均年齢70何歳だそうだ。だが、祝島の人は島の歴史伝統、文化を守ってしたたかに存在し続けている。全国各地の限界集落などと言われているところの人たちも、訪ねてみればいたって元気である。政府や中央の学者は数字をもてあそんで「消滅自治体」などと勝手なことを言っているが、全く失礼な話だ。それは人間不在、没文化の形式論理に過ぎない。

■「地方創生事業」ではない、地方の覚醒だ!

 ところが、今の県や市町村はどこもかしこも国の脅かしに屈し、地方創生事業一色になりつつある。アベノミクスと僭称(せんしょう)する新自由主義経済の論理を基に官僚が机上で書いた中央主導の地方改革では、むしろ地方の衰退は加速すると危惧する。ましてや国家財政の効率化、国家統治能力強化などの意図から考えられている道州制の導入などがあってはたまったものではない、地方の破壊、国土の荒廃が一挙に進行することは間違いない。

 地方が存続しつづける必須条件は地方の自主性を発揮すること、国家に追随するのではなく地方分権を推進し、住民主体の地方主権を確立することである。山口県周防大島出身で、戦後離島振興法成立に尽力した高名な民俗学者宮本常一は「そこに住んでいるいる人自身が本気にならない限り地域の振興はない」と言っていた。他力依存ではだめだということだ。

 かつての高度成長期の考えの延長線で中央や、大企業、原発などに依存し開発・発展、人口増加を望むのはもはやないものねだりである。地方である、そのこと自体の価値に目覚め、人と環境を重視した考えに徹する――このことが地方のあるべき姿であろう。そうであれば都会で無意味な競争に疲れた人たちは、こうした気概ある、志操の高い地方に大いなる魅力を感じて訪ねてくるはずである。いたずらに発展を、成長を望めば墓穴を掘るだけだと言いたい。

 経済発展に乗り遅れたと言われる日本海側――例えば島根県鳥取県を訪れたとき、美しいな、豊かだなと思う人は多いのではないか。太平洋側で発展した地方には古いものより急ごしらえの新しいものが勝ってコンクリートジャングルと化している。高層ビルができたとて、いずれは廃棄物の山ではないか。成長発展の恩恵に浴せなかった地方こそ長年引き継がれた文化が歴史建造物ばかりでなく風景自体に残っている。まるでイングランドの田園風景のようだ。これからの時代、人はこうした地方にこそ本物の価値を見いだして寄ってくるはずである。

 福井地裁大飯原発再稼働差し止め訴訟の、あの判決文は美しい、そして高貴だ。日本国憲法の言葉に匹敵する高貴さだ。日本人でもこういう文章が書けるのだと感動した。原発に依存しないで地方に生きる、生き続けるとは「豊かな国土とそこに根を下ろして生活していることが国富である」、このことに尽きる。

■帝国は必ず滅ぶ、だが地方は残る

 原発がなくなれば当座立地自治体は確かに厳しくなる。だが、福島第一原発事故後の国内の状況、世界のエネルギー政策の動向などを考えれば、脱原発依存の道を探って行かざるを得ない時代が来る。一つ言えることは、日本のある地域が消滅する事故を起こしておいても誰も、どの機関も責任は問われていないということだ。原発推進の世界は本質において事故の前と後で変わっていない。だから今後も地域まるごと長期間原発に依存するということが本質的に危険な話なのである。立地自治体が電力供給に果たしてきたことに誇りがあるなら原発再稼働を求めるだけでなく、エネルギー転換の動きや原発以後の社会をも見据え、政府に対して別の観点からの支援要請を考える時期に来ているのではなかろうか。

 話が横道にそれるが、先の大戦の戦争責任問題も日本人は「戦後復興」の大合唱の中で消し去り、戦争指導者の責任を問うことをしなかった。その問題をないがしろにしたことが今日でも尾を引いている。今年は戦後70年である、「過去に目を閉ざす者は、現在についても盲目となる」とのワイツゼッカードイツ大統領の残した言葉が再び脚光を浴びているが、中国、韓国はじめアジア諸国に多大な損害を与えた私たち日本人としても、我がこととして受け止める、その知性が求められている。

 原発についても同じだ。事故によって生じた「フクシマ」という人類に問いかけられた大きな命題に目を閉ざしてはならない。福島第一原発事故の後で原発を経済的観点からのみ議論するのでは、2022年までに原発全廃を決断したドイツの論理と比べ痛く寂しい。原発依存か、脱原発かの議論は人権尊重の論理や地方主権の観点をも入れて深めていく必要があろう。

 歴史上「帝国」と称したもので滅ばなかったものはない。歴史の定理である。近くは大日本帝国ヒトラードイツ第三帝国オスマン帝国、遠くはペルシャ帝国ローマ帝国モンゴル帝国など枚挙に暇がない。巨大システムは帝国と同じくもろいものだ、原発という巨大システムももろい代物である。GEやウェスティングハウス原子力部門が日本企業の傘下に入り、ドイツシーメンス原子力事業から撤退し、EU最大の電力会社E・ON(エーオン)が主力を再生エネルギー事業に転換したことなどからしても、そう言えないだろうか。

 帝国は必ず滅ぶ。だが、その支配下にあった地方は滅ぶことなく現在につながり、未来につながっていく。あまりにも巨大なシステムであり、人類に対し危険性の高い原発は消えていく必然性があるが、歴史と伝統に培われた地域と英知を働かせることができる住民がいる限り地方は永遠である。

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 津田大介さんが運営する政治メディア「ポリタス」の論考を掲載しています。http://politas.jp/別ウインドウで開きます