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朝日新聞2015年2月20日


(戦争のリアル)平和のため、戦争学ぶ 戦後70年・第2部:朝日新聞デジタル

昨年秋、核兵器を廃絶する道を探ろうと、1人の学生がイギリスに留学した。深草亜悠美(23)。祖母は長崎で被爆した。

 入学したのは、ロンドン大学「戦争学部」。学問として「戦争」という現象を研究するため、1962年に創設された学部だ。軍人や平和活動家からジャーナリストまで、世界中から集まった学生が机を並べる。

 入学するとすぐ、核不拡散についての授業で、教授から問いかけを受けた。

 「核兵器の使用の是非は一律に議論できない。種類や大きさ、威力に分けて考えるべきではないか」

 困惑した。これまで核兵器は絶対悪だとして、主にその是非についてだけ考えてきたからだ。

 個々の兵器の威力を知らなければ軍縮交渉も進まない。授業では、「正しく怖がり、正しく対応するためには科学的知識が必要」とたたき込まれ、核兵器の部品名や工程から学ぶ。

 「核の危険を抑えるためにこそ、知識は必要」と思うようになった。

 深草に戦争学部への留学を勧めたのは、法政大学准教授の二村まどか。自身も99年に戦争学部に入学した時、同じ戸惑いを感じた。

 その年、北大西洋条約機構NATO)軍が、コソボで「民族浄化」の人権侵害が行われているとして旧ユーゴスラビア空爆した。市民の多大な犠牲を防ぐため、他国が武力介入することが、「人道的介入」を理由に認められるのかどうかが議論になった。

 日本にいたころ、二村は「戦争」と「平和」は対極にあるものだと考えていた。しかし、戦争学部で議論していると、武力行使は、国際平和の秩序の回復と維持のための一つの選択肢と見なされていた。

 博士論文には、東京裁判などを事例に「戦争犯罪と国際刑事裁判」をテーマにした。戦争犯罪が裁かれ、平和への道のりが始まる。その最初の過程を学ぶことが、戦争と平和の織りなす複雑な関係を考えることになると思ったからだ。

 戦争学部は、英戦略家リデルハートの「平和を望むなら、戦争を理解せよ」という理念を基にする。あらゆる学問の英知を結集して、戦争という現象を徹底的に検証する。

 同学部で研究員を務めたことのある、防衛研究所国際紛争史研究室長の石津朋之は言う。「平和と戦争はコインの裏表のように近い関係にあるのに、戦後日本では相互の研究が交わってこなかった。その結果、世界各地で起きている戦争や紛争の原因についての考察が甘くなり、解決策を世界に発信できなくなった」

 

 ■紛争防止へ、日本でも模索

 戦争や紛争の実態をどうつかみ、平和をいかに築いていけばいいのか。日本でも模索が始まっている。

 東京外国語大学は04年、紛争の防止策などを研究するコースを設立した。紛争地から、この教壇に転じた人物がいる。

 「紛争屋」を自称する教授の伊勢崎賢治だ。

 「テロリストを理解しようと思うのは、いけないことなんだろうか」

 2月5日、日本人の人質事件が報じられた直後の学部生向けの授業。伊勢崎が問いかけると、生徒たちの顔には困惑が浮かんだ。

 あえて挑発的な質問をしたのは、「テロは構造的要因があって生まれるもので、『悪魔化』すれば、真の解決方法を見失う」との思いがあるからだ。

 伊勢崎は03年から1年間、米軍の攻撃でタリバーン政権が崩壊した後のアフガニスタンで日本政府の特別代表として軍閥と交渉した。兵士から武器を取りあげ、社会復帰させる「武装解除」に携わった。その経験から学ぼうと、伊勢崎の授業にはチュニジアアイルランドネパールなど世界各地から学生が集まる。

 終わりの見えない戦争となった米国の「対テロ戦争」の現場を見てきたからこそ、武力に武力で対抗できるという議論は「リアル」ではないと感じる。構造的な要因を取り除くことがテロを無くす現実的な道だと言う。

 紛争地で感じたのは、日本の平和主義を支えてきた憲法の「強さ」だ。軍閥と交渉する時は、必ず名刺代わりに「日本は国民が自発的に武器を捨てた国」と紹介した。日本の平和主義が広く知られていたことが丸腰の交渉を支えた。

 だが、日本の平和主義も手放しでは礼賛できない。日本はインド洋での給油作戦など米国の軍事作戦に協力し続けてきた。日本人自身が平和憲法という理念に安住し、外の現実に目を向けていないと感じている。

 「戦争をする国を支えておきながら『非戦』といえるのか。日本にとって平和とは何か、我々は理解しているだろうか」

 憲法を生かし、日本がもっと主体的に考えていく道があると、伊勢崎は言う。国と国との争いに限られないテロや紛争が、世界各地で起きている。こうした現実を直視し、日本の平和主義を鍛え直す時が来ているのかもしれない。=敬称略

 

 ■取材後記

 「日本で戦争というと、まだ第2次世界大戦のことを指すのですね」。ロンドン大学で取材した講師に言われ、どきりとした。確かに「戦争」と言えば、70年前に日本が負けた戦争のことを思い浮かべてきた。日本ではあの戦争の評価がいまだ定まらず、歴史認識をめぐる論争が続く。戦後の出発点に立ち返る作業を終えるわけにはいかない。

 しかし、世界ではその後も戦争や紛争は絶えず、日本も朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争などと決して無縁ではなかった。そのことに私自身、想像力をどれだけ働かせてきたか。突かれた気がした。(守真弓

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 もり・まゆみ 80年生まれ。岐阜総局、政治部などを経て文化くらし報道部記者。

 

 ◆「戦後70年」第2部はこれで終わります。3月には、歴史教育、空襲についてそれぞれ特集を予定しています。4月予定の連載第3部では、国家と歴史の問題を考えます。企画へのご意見、ご感想をsengo@asahi.comにお寄せください。