いま何が起こっているのか?

3.11以降のことを原発・放射能の影響・エネルギー問題などの記事を記録している

朝日新聞2015年2月20日 


(インタビュー 核といのちを考える)「人道」の旗を掲げて ペーター・マウラーさん:朝日新聞デジタル


「中立」「人道」を旗印に、過激派組織「イスラム国(IS)」が支配する危険地域でも住民支援に取り組む赤十字国際委員会(ICRC)は、核兵器の非人道性に焦点を当てた国際的議論を主導してきた。様々な人道問題がある中、なぜ核兵器なのか。広島・長崎への原爆投下から70年。来日したペーター・マウラー総裁(58)に聞いた。

 

 ――赤十字は「イスラム国(IS)」支配地域やその周辺でも支援活動をしているそうですね。

 「シリア北部アレッポでは、政府側、反政府側双方と6カ月間交渉して、支援物資の搬入路を確保しました。ISの『首都』とされるシリア北部ラッカや、イラク北部モスルの病院も支援しています。不十分であっても、必要とする人がいる限りは支援を続けます」

 ――日本人人質事件にも関わりがあったそうですね。

 「赤十字は、紛争地で取材にあたるジャーナリストらに情報提供するホットラインを設けています。詳細は言えませんが、昨年11月にフリージャーナリスト後藤健二さんのご家族から問い合わせがありました」

 ――日本政府は、IS支配地域の周辺国へ「非軍事」の人道支援を続けつつ、米欧諸国とともに「テロ」には屈しないと表明しています。

 「日本を含め国家というものは、政治的、軍事的、戦略的に動かざるをえず、それらをどう組み合わせるかの決定をします。オバマ米大統領が最近、ISに対して地上部隊を投入する決議案を示したことは驚くにあたりません。だからこそ、政治的中立を旨とする赤十字が存在する意味があるのです。紛争の現場では、赤十字が最も中立、公平かつ独立した人道支援ができるのです。米国に対して『ISと戦争すべきではない』とは言いませんが、『戦争をするのであれば(無差別攻撃を禁じた)国際人道法を尊重するように』と言うのです」

 ――欧米や日本はISを「テロ組織」と呼びます。赤十字の定義は。

 「ジュネーブ諸条約の用語に従って、ISもボコ・ハラムアルカイダタリバーンも『武装組織』と呼んでいます。彼らは一定の領土を支配していますが、そこには私たちの人道支援を必要とする民間人が暮らしているのです」

 ――日本は欧米と違って中東に軍事介入したことはありません。しかし、ISは「広島・長崎で米国の原爆を受けた日本がなぜ米国につくのか」と批判し、日本を「十字軍寄りの敵」と見なしました。

 「残念ながらここ数年、中東では過激主義の台頭と権力の崩壊が進み、政治的に中立な人道支援組織である赤十字の従事者らも危険にさらされ、シリアでは武装組織の人質となっている者もいます。中立だから尊重されるはずだという伝統的な認識に頼ることができなくなりました」

     ■     ■

 ――赤十字は5年前から、核兵器の非人道性をめぐる国際的な議論を主導してきました。人道をめぐる様々な問題がある中で、なぜ核兵器を採り上げたのですか。「核兵器なき世界」を訴えた2009年のオバマ米大統領の登場や、「核兵器使用の破滅的な人道的結果」に言及した2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議の最終文書も関係があるのでしょうか。

 「生物・化学兵器、地雷、クラスター爆弾などの問題に取り組む中でも、赤十字はジュノー博士らが広島の被爆者救援にあたった1945年の立ち位置を維持し続けてきました。ただ、何十年にもわたって核兵器の非人道性がわかっていたのに、核軍縮プロセスが単なる幻想であり続けてきたのが現実です」

 「核兵器は、基本的には戦略的な軍事・安全保障の装置であり続けてきました。しかし、前回5年前のNPT再検討会議以降、その人道的影響と核軍縮の重要性を国際社会に思い出させるような政治状況が生まれてきたのです。いつ、どこで、何を交渉するかを決めるのは国家の責任です。私たちができることは、核兵器の何が問題なのかを国家に思い出させることです」

 ――昨年末にオーストリア・ウィーンで開かれた第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議で、赤十字は「核兵器が使用されたら、適切な国際人道支援はできない」との結論を発表しました。これに対して、日本政府の軍縮大使は「そういう見方は悲観的すぎる」として、核被害下であっても救援方法を研究する必要性を主張しました。

 「もし核兵器が使われたら、赤十字はできる限りの支援をします。実際にあらゆる支援をしてきたし、評価もされているはずです。その意味で、私は悲観的ではありません。ただし、実際に何が起きるかというシナリオや想定については、(日本政府より)赤十字の方が現実的なのだと反論するでしょう」

 「核兵器がその標的だけに限定的な形で使われることは想像できません。想定範囲内には封じ込められず、必ずそれは拡大してしまう。それが事故であれ、使用であれ、放射能の影響は広がり、長く続き、人間の対応能力を超えてしまうのです。『適切な国際人道支援はできない』という結論は、唐突なものではありません。現有能力と、現実的な想定から導いたものです。民生用の福島原発の事故を見ても、そのことは分かるでしょう」

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 ――「核兵器使用後の救援不可能」の見解は、ウィーン会議の議長総括に盛り込まれました。一方で、赤十字などの国際機関被爆者、大多数の会議参加国政府が、核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めるよう求めましたが、米英や日本政府は「時期尚早」として、抵抗しています。

 「百数十カ国が参加したノルウェーオスロメキシコ・ナヤリット、オーストリア・ウィーンの3回の人道会議を通じて、核兵器の人道的影響についての理解が飛躍的に進み、事実や想定についても真剣に考慮されるようになりました。私たちは現実的です。明日にも核兵器がゼロになるなどとは思っていません。核保有国はすでに核軍縮するとの約束をしています。これに法的拘束力を持たせることに何の問題があるのでしょうか」

 ――ただ、米ロ英仏中の5核保有国は今月6日にもロンドンでの会合で共同声明を出し、段階的に核軍縮を進める「ステップ・バイ・ステップ・アプローチ」こそが核廃絶への唯一の現実的な道だと再確認しました。これから4~5月に開かれるNPT再検討会議でも、こうした立場を貫くのではないでしょうか。日本のような「核の傘」の下の同盟国もこのアプローチを支持しています。

 「ステップ・バイ・ステップ・アプローチと私たちの主張に何ら矛盾はありません。核兵器の人道的影響を考慮に入れることで、その認識ギャップは埋まってきています。私はステップ・バイ・ステップ・アプローチでも結構なのです。もし、その一歩を実際に踏み出し、それが最終目的につながるのなら大満足です」

 「核軍縮の交渉をするのは、あくまでも国家です。NPTプロセスを通じてステップ・バイ・ステップで進むこともできるでしょうし、別の進み方で国際社会が新たな法的枠組みを探ることもできるでしょう。一方、赤十字は、核兵器の人道的影響に国際社会の関心を集める責任があります。核兵器は常に軍事的、戦略的な基準で見られてきました。こうした基準に、非人道性という新たな尺度を加えることが重要です」

 ――今回の訪日で、広島を訪問されました。

 「被爆者の証言を聞いて、私たちが近年議論してきた核兵器の人道的影響をすべて物語っていると思いました。この兵器の無差別性や世代を超えた長期的な影響、(病院などの)支援施設の破壊の可能性などです。強調しておきたいのは、核兵器が使われたら、環境や食糧事情に与える影響は制御不能だということです。この3年間、赤十字だけでなく多くの研究によって、このことが指摘されています。原爆投下から70年。今こそ被爆者核廃絶への願いを受け止め、それを約束から現実へと動かすことが必要です」

     *

 Peter Maurer 赤十字国際委員会総裁 1956年生まれ。スイス外務省の人間安全保障課長、国連大使、外務次官などを経て、2012年7月から現職。

 

 ■取材を終えて

 政治的中立を旨とする国際人道支援組織のトップとして、言葉を慎重に選び、理詰めで答える姿が印象的だった。「武装組織」が支配する危険地域であっても、そこには欧米や日本政府が言うところの「テロリスト」ではない人々も暮らしている。空爆を続ける欧米の「テロとの戦い」という「上から目線」に追随する日本政府は、こうした「現場」の言葉の重みを再認識すべきだ。

 (田井中雅人)

 

 ◆キーワード

 <赤十字核兵器> 赤十字国際委員会(ICRC)の駐日首席代表だったマルセル・ジュノー博士は1945年、原爆投下直後の広島に医薬品を届け、自らも被爆者らの治療にあたった。ICRCは2010年に総裁声明を発表し、「爆弾の物理的影響は信じがたく、いかなる想定も越え、想像を絶する」との同博士の言葉を引いて「核兵器の時代に終止符を」と訴えた。これを機に、核兵器の非人道性に焦点を当てた国際議論の潮流が生まれた。