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「避難指示解除」で期限を切られた「飯舘村住民」の怒り 寺島英弥 

時事ドットコム:「避難指示解除」で期限を切られた「飯舘村住民」の怒り - Foresightコンテンツ−新潮社ニュースマガジン

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政府は6月12日、福島の復興指針改定を閣議決定した。与党の提言を受けて、福島第1原発事故被災地の「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の避難指示を、2017年3月までに解除する方針だ。すでに4年以上も避難を続けている住民たちの帰還に期限を切り、それまでの間に対象の自治体を集中支援するという。だが、飯舘村比曽地区では、環境省除染が終わった宅地の放射線量が下がらず、安全への不安に加え、今春から本格化した農地除染の完了や、汚染土の仮置き場の撤去の時期もあいまいだ。

住民からは「これで帰村しろと言うのか」と怒りの声があがる。

放射線量は高止まりなのに…

比曽地区は飯舘村南部にあり、唯一の「帰還困難区域」である長泥地区に隣接し、「居住制限区域」に指定されている。村の定点測定地点での比較を見ると、2011年3月の原発事故の翌月に9マイクロシーベルト(毎時/以下同)弱だった線量は、4年間の自然減を経てもまだ約3分の1のレベルを保ったまま。14年春から環境省による除染作業が始まり、これまでに、村外に避難中の住民約90世帯の家屋とその周囲の「宅地除染」がほぼ終わっている。

 環境省除染方法は、宅地も農地も、汚染された土を5センチはぎ取り、新しい土をかぶせる。これは、放射性物質セシウム)が土中の粘土分に付着する性質があり、おおよそ5センチ以内の深さに集中することが確かめられているからだ。

 「高線量地域」である比曽行政区では、自治会が役員・区長経験者の「除染協議会」を設け、除染を担当する環境省福島環境再生事務所にたびたび要望を伝え、また、住民有志が独自に地区内の放射線量を測定する活動を続けている。宅地除染が終わった家々についても、農家で元区長の菅野啓一さん(60)が福島市内の避難先から比曽に通い、一軒一軒回っての効果検証の測定を5月から行ってきた。

 菅野さんの自宅では除染後、玄関側の空間線量が2.2マイクロシーベルトから0.5マイクロシーベルトに下がり、「どこの家でも、玄関側は7~8割減の数値になった」。ところが、家の裏手に回ると、「放射線量の測定値は5割前後しか低減しておらず、ある家では除染前の7.1マイクロシーベルトから、3.5マイクロシーベルトにしか下がっていなかった。除染後も、家の裏手が6マイクロシーベルトという高線量のままの家もある」。

 菅野さんは「この理由は明白だ」と言う。比曽に限らず、山あいの谷や盆地ごとに集落ができた飯舘村では、ほとんどの家が裏手に「居久根(いぐね)」と呼ばれる屋敷林を背負う。子孫への財産として守られてきた居久根は、高さ30メートルを超える大木が多く、原発事故の際に降った放射性物質が付着したままだ。環境省は居久根の除染について、家から最大限の奥行き20メートルまでの範囲で、落ち葉など林床の堆積物や、高さ4メートルまでの枝を除去するだけにとどまり、土のはぎ取りを行っていない。その結果、家の回りだけを除染しても、裏手の居久根からの放射線がほとんど低減していないのだ。